正直、未だ興奮冷めやらない状態であった。
それだけ濃い2日間を堪能したと言うことか。

 地元の夏祭りである「相馬野馬追い」は騎馬武者たちが集い、進行し最後は神旗争奪戦を繰り広げ違いの「男気lを競い合う祭りである。

 今回、「東の覇王」はまるで騎馬武者のように私の家にやってきて、2日間の間、山や海を侵攻し帰って行ったのだった。

 これはその2日間の記録である。



 きっかけは師匠のところの掲示板の書き込みだった。

浜松に行く用事があったのでブログでそのことを書いておいたら、浜松在住のBUBU505Cユーザーであるシンさんが、「浜松にくるなら少しの時間でもいいので話したいなぁ〜」というスレッドが立ったのだ。

 日帰り出張なので時間とるのは難しいねぇ・・・と、残念ながらプチオフすら実現できないことを悔やみつつ、今度来るならBUBUに試乗できるようにしておくよ〜とか、やっぱお土産はウナギパイ??とか他愛の無い話でスレッドが流れてた時に大福さんがレスを付けた。

「8月末まで暇なので、どつさんのMCを見たいなぁ〜」・・っと。

で、つい私もうれしくなり「うちにくれば漏れなくK−3に乗れる特典がつきますよ〜!」と軽い気持ちで書き込んだら、ちゃぴいさんが「みんなで福島いくかぁ〜!車に(マイクロカーを)積んで(笑」と話を盛り上げた。

急激に「福島いきたーい」という声が多くなった時に大福さんが「ぼくは行くならMC−1で行きます」と書き込んだ。

 大福さんは過去に壮絶なトラブルに巻き込まれながらも雨蛙さんの居る名古屋まで行った男だ。

 冷静に考えればこの時点で本気で来ると気づくのだが、正直400キロ以上離れた地にそうそう来ないよねぇとタカをくくっていた。

 その後、大福さんの「どつさんの時間が作れなければ1時間・2時間でも空いている時間があれば会いたい」と言う言葉に、いくらなんでも全盛時のピンクレディじゃあるまいし、ふつーの中年オヤジが数時間の空きを作れない訳がない(汗

 こりゃもう、大福さんは本気なのだと理解し、こわごわと嫁に「埼玉からMC−1に乗って遊びにくる友達がいるけど、野馬追い休みとか2日間使ってもいいか?」と聞いた。

 埼玉からあの車で!!と嫁は絶句し、私の表情を確認してどうやら本気で来るらしいと理解したようだった。

 「じゃあ、日曜日(21日)はトオルとタケルをちゃんとSLに乗せてくれるなら別にイイよ。」と了解を得たので早速掲示板に22〜23日に地元の祭があって平日だけど会社が休みになること、スリカミ観光に行って玉こんにゃくとK−4を堪能するのはどうか?と提案したところ、「その日程で問題ない」と大福さんが了承し、冗談のような話ががぜん、現実的な話になったのだった。

 私は、この大福さんの底なしの行動力を尊敬し、彼を「東の覇王」と呼んでいる。

西の師匠は「奈良の大ちゃん」なのだが、この師匠すら一目置くその実行力を私はとてもスゴいと感じている。
 ある意味師匠が認めた人なのだ。弟子も認めなければならないでしょう(笑

 この話の5日後、本当に大福さんが福島にやってくることとなる。



 東の覇王が来る前の日、私はタケルとトオルを連れて磐越西線を走るSL、「ばんえつ物語号」を乗りに出かけた。

 南相馬の自宅からは車で二本松のICまで行き、その後、東北道を南下して郡山JCから磐越導に入り、津川ICでおりて小谷田駅移動しなければならない。
朝7時30分に家を出て、小谷田駅に到着したのはSLが出発する1時間前の10時40分だった。



 この後片道2時間かけて小谷田駅から会津若松駅までSLの旅を満喫出来る。

 車内ではゴスペルの合唱や、ジャンケンゲームなどもあり実に飽きない2時間であった。

 SLに乗るのは初体験の3人であったが、とても楽しめたと思う。

 トオルは「また乗りたい!」と何度も言い、タケルもまんざらでもなさそうだった。こいつは今ではすました顔をしているがトオルくらいの頃は親も行く末を心配するくるくらい「機関車トーマス馬鹿」だったのだ。

 結局、夕飯をとるために福島市へ移動したのは夕方の6時過ぎ、そこから食事を終えて店を出たのが7時半過ぎくらいだったと記憶している。

 もう少しで福島市内を抜けようかというときに、W-ZERO3が鳴った。嫁からだった。

「ねっ!昼に見た見た!なんか(ハロウィンの)スイカ見たいのが笑ってた!」
・・・・・なんのこっちゃ。もうちょっと要領良く話せ(汗。

 正直嫁の話は、興奮しすぎて何が言いたいのか良く分からなかった。

「何でわかんないの!埼玉から来るって言ってたジャン。あんたのみたいな変な車をいわきで見つけたの!!」

え!もしかして大福さんのこと??

「そうそう、それ!なんかね面白くて後をつけていったらコンビニに入ってった!昼ごろだよ。」
お前はストーカーかっ!・・・・っと突っ込みを入れたくなったけど、そりゃ何の免疫も無しにあの車を見つけたらそうなるか(笑

 しかし、これは大変な事態である。

大福さんがもう、福島入りしているのだ。予想ではもっと夜に着くと思ってたのに・・・。

 慌てて大福さんに電話をかける。実は電話するのは初めてだったりする。うはっ!緊張するなぁ(汗
が、しかし。予想に反して留守電だった。

風呂でも入っているのかなぁ。と思ってW-ZERO3をポケットに仕舞おうかとおもった時に着信した。

「あ、こんばんわ、大福です〜。今ホテルです。」
やや!随分早く着きましたねぇ〜!今着いたばかりですか??

「いえ、3時頃には着いちゃって・・・。時間が余ったのでどつさんの家に回ったんですよ。白いMC−1が有ったからどつさんチ、ここで間違いないなぁって確認して。その後暇だったので仙台まで行ってきました。」

・・・・思わず声を失った。
フツーの人ならば、埼玉〜福島に到着した時点で、やれやれと車を降りてチョット早いけど浴衣に着替えてビールでも飲むかな、あ、その前に風呂か、ここの風呂でかいといいなぁ〜。でも混んでいるのはヤだな。激しくヤだな・・・などとくつろぐと思うのだが、「暇だから」仙台まで足伸ばす!?シンジラレナーイ!!

「あ、でも実際には仙台の場所が判らなかったので、南仙台っていうところまでしか行ってないですよ(汗」と大福さんは慌てて取り繕ったが、いや、アンタ、そこから仙台って5kmくらいしか離れてないですよ(汗

 正直底知れぬパワーを感じた。人間、想定の範囲外のことをされると、もう、急にその人がスゴイ人に思えてくる。まあ、実際スゴイのだが・・・。

 こりゃ、直ぐに大福さんに会いたい思いに駆られたのだが、大福さんも疲れているのだろうということ、こっちも子供が居て家に付くのは9時頃になると予想し、明日10時にウチに来てもらうように話をして電話を切ったのだった。

 いや〜。来ましたよ!大福さんが!!埼玉から。しかも偶然、いわきに居た嫁に目撃されているなんて・・・。
運命のイタズラにフフフと笑いながら家路を急いだのだった。

 「こんにちはー。」

不意に背後から声をかけられてドキッっとした。

 約束の10時にはちょっと早い時間に大福さんが訪ねてきた。

 私は丁度ガレージルームで師匠の掲示板を覗いていた時で、みんなの大福さんのチャレンジに対するレスポンスを読んでいた時であった。

 初対面の大福さんは人なつっこそうな笑顔を浮かべ入り口に立っていた。

 なんと言っても東の覇王である。

 全身から近寄り難いまでの闘気をシュウシュウと出しつつ、そこいらにある小石は粉塵とともに宙を舞い、見た瞬間の私はその圧倒的な存在感というかオーラに圧倒されて絶命すー、、、、

 というのを想像していたのだが、目の前の彼はどこにでもいそうな、いや、むしろマイクロカーに乗っている雰囲気など感じさせない好青年であった。

 正味2秒ほどのタイムラグがあっただろうか。

 私は気を取り直し、やぁやぁと握手を求めた。

 海外出張が続いた時に韓国の人とやたら握手をしてた時期があったのだが、その癖でつい握手を求めてしまう。
 私はガッツリと大福さんの手を握り、その偉業を称えた。

 大変だったでしょう、、、こんなところまでようこそ!と言うと
「いやー、なんか予定より早くついちゃって、、、どうせなので宮城県まで行ってしまいました。6号国道は平坦なので走りやすかったですよー」
と大福さんはうれしそうに話した。

 イヤイヤいくら走りやすいってそれはナイナイw

 「雨蛙さんの所に行ったときは途中でピストン穴開いちゃったりして大変でしたから、今回は無事に着けてよかったです」
 ウンウン、それはネットのみんなもそう思っていることでしょう。

 あ、そうだ、今ネット見てたんでどうせだから師匠の掲示板に到着の報告を・・・・と言ったときに長男のタケルが割り込んできた。

 「あのー、僕、タケルです。あのーサインを貰いたいんですが・・・すごい人がくると聞いてたので、、、」

 大福さんは目を丸くし、「いやー、僕なんてサインをするような人間ではないですよ・・・・」と謙遜したのだが、タケルは本気だ。

 ただ、サインペンと色紙を持ってきた訳ではなく、2Bの鉛筆と自由帳の白紙部分を開いて持ってきたというのが、どこまで本気なのか疑わしい部分ではあるが(汗

 大福さんは困ったなぁ〜という表情でサインを書き始めた。

こういうのを断れないいい人なのだ。

 タケルは満足げにノートを受け取り、どうでもいいような稚拙な話をたくさんした。

 大人の世界に彼なりに入ってこようとするのだが「デュエルモンスター」の話ではなかなか会話にならない。

 しかし、大福さんはイヤな顔もせず話を聞いてくれていた。

だが、このまま大福さんをタケルに占有されてしまっては何をしにきたのか判らなくなるので、早速、大福号を確認することにした。

 自宅前の駐車場に行くとネットで見ていた、あの「大福号」がそこにはあった。



 緑色のボディ、愛らしく開いた口?にはエアインテークのような「クチバシ」がついていた。
 すでに、モチーフがほ乳類なのか鳥類なのかよくわからない。

大福さんに言わせれば、特に何を狙ったものでもないのだろう。

ただ道行くおじさんや子供たちが笑ってくれれば満足なのだ。

「笑う角には大福きたる」だな・・・っと思いながら、しげしげと大福号を観察した。

 まず、右と左で大きさも形も違うドア。



「改築?」を進める中でこの形になってしまったという。

 ドアノブは、本当の扉のドアノブのまんまなのだ。車と建築物の融合体に思えた。



 「いろいろと作り替えていったら左右違う形になってしまいました。でも、動かない物と違ってウゴクモノを作るのは難しいですねぇ・・あはは」
と大福さんは屈託無く笑う。

 そりゃそうだろうなぁ・・・。

 荷重には静荷重と動荷重と衝撃荷重がある。機械設計を行うときはこれらの荷重に対して設計上の安全率をかけて行う。

この安全率が静荷重場合4程度であるが、動荷重の場合は5〜10倍にもなる。
 衝撃荷重ではさらに15倍の安全率が必要となるのだ。

 大福号がこのドアを手に入れるまではかなり公開できないような「危険なデキゴト」が数多くあったはずだ。

 それを乗り越えてきた大福さんに敬意を表したいとともに、ドアを作った動機というのがネットのどこかで「誰かがドアを作るのは不可能だ」とか言ってたので本当にできないものか試したかった。という、そんな些細な発言がきっかけでいきなりFRPに手を出しドアを作ってしまったことに、「魂のモチベーションの無限サイクルエンジン」というものがもし具現化できるとしたらこの人になってしまうのではないか」という畏怖さえ感じた。

 一言で言えば「スンゴいなぁ」なのだが。

さて、大福号のエクステリアはこれだけではない。

おなじみのリアフェイスがこれだ。



思いっきり愛嬌のある顔になっていて、後続車はブレーキを踏む度に爆笑である。

 私も今回の道中で後ろを走ったがゲラゲラ笑ってしまった。

しかし、このリアフェイス、口がこのように開くのである。



するとどうだ?先ほどまでの可愛らしい顔とは打って変わって非常に攻撃的な顔に豹変する。

 たとえヤンキーが大福号に絡んできたとしても、この口を開けたままバックギアで追いかけられたら、ひとたまりもないであろう。

 無知な彼らのことだ。間違いなくこの口から「ギガ粒子拡散大福砲」を発射してくると思うことであろう。

 タツノコプロ風の解説で言うならば、国産の小麦粉から採れるギガ粒子は空気中の塵に付着した状態で、高電圧によってイオン化し斥力によって高速で弾け飛ぶ。※宇宙航行に使われるイオンロケットと同じ原理である。

 その弾け飛ぶ先はもちろんターゲットスコープがロックオンした標的ヤンキーAである。

 その間、標的外ヤンキーB〜Zは原チャリをあわてて発進させ数名の仲間を置き去りに時速70km/hで逃げたとする。

時速70km/hでどのくらい逃げれるかというと1秒間に19.44mしか逃げられない。

 ギガ粒子拡散大福砲は空気中に散らばったギガ粒子が粉塵爆発することで火炎伝搬するのだがその際にちょうどエンジンがデトネーションする状態に酷似した速度まで到達する。

 数字で表すと「1000〜3000m/sec」となり、ヤンキーは逃げ切ることができない。

 時速換算ならば最低でも10800km/hを出さなければ逃げきれないことになり、実質逃げれないのだ。ああ、くわばらくわばら。

 まあ、さいたま市の条例により「緊急時以外は使えない」とはいえ、ヤンキーのみなさんこの車をみたら速やかに追い抜くか細道を走ってくださいw

 ちなみに大福さんに聞いた話によると「ここはスペアタイヤ入れ」になっていると言っておりました。

 う〜ん、謙虚なんだからもうww



次にインテリアを見てみよう。


 コックピットと呼べるくらいにいろいろな計器類が並ぶインパネ周り。

 PDAのカーナビはもちろんのこと、MDプレーヤーも標準装備である。



 メンテナンスにも使えるLEDライトは必需品だし、太陽がまぶしい時にはサンバイザーも使える。



 ノーマルシートを改良したシートは、まるでソファのようにフカフカであった。

 さらにソファー、もとい、シートには竹片で編まれたシートカバーが付いており、健康にもいい。ロングドライブの必携アイテムであろう。

 このシートに座ってエンジンを始動すると、右隣に設置されたPCファンから冷風が出てくる。これで暑い日もばっちりなのだ。

 実際、乗った感じではこの座り心地はもはやマイクロカーを越えている。

 まるで不動産屋の事務所のソファーにどっこいしょと腰掛けているような気持ちよさなのであった。ぜひ、みなさんも体感してほしい。

 ちなみにハンドルについている四角いボタンは右が「ギガ粒子拡散大福砲」の発射口オープンボタン、左が発射ボタンである。

 大福号のすごさに圧巻されつつ、写真を撮りまくる私。

次にエンジンルームの写真を・・・・と思ったところでW-ZERO3に着信があり、撮影は中断した。
各自、大福さんに出会った時にでも肉眼で見てほしい。

 電話の主は雑誌一個人に「男の休日ドライブ」を書いているライターの寺野さんだった。

 今度、飯坂温泉にあるすりかみ観光自動車にK−4の取材でいくのでその日程の連絡であった。

 この電話のやりとりを見てた大福さんは「どつさんてそっち系の仕事をされているんですか?」と目をキラキラさせて聞いてくれたのだが、いや〜、わたしゃ〜一介のしがないサラリーマンですよぉ、、と正直に話してしまった。

 今思えば、机の引き出しから葉巻を出し、軽く煙をくゆらせながら「まあね」と軽く言っておいた方がよかったかなぁ・・・と後悔している。

 こんなやりとりをしているうちに、お昼近くなったのでなじみのラーメン屋に向かう。

 カレーが国民食の地位を確固として築いて久しいが、あまり昼のメニューと言う感じはなく、夕方におかーさんが台所で作ってくれるというイメージが強い。

 もう1つの雄であるラーメンならば、昼から夜までマルチパーパスにこなしてくれる国民食であると言えよう。

 しかし、こちらはあまり家庭で作るイメージが無く、「家でラーメンを作る」というと何となくお湯を注ぐだけ、スープは粉を入れるだけとカレーに比べて手が入っている感じが無く、むしろ手抜きな印象が強い。

 しかし、外で食うラーメンは旨いのだ。

特に今回大福さんにごちそうするのは、なんと旭川ラーメンなのである。

 「福島でなんで旭川ラーメンなの?社会の地理とか苦手だったでしょ!」というつっこみは受け付けない。

 確かに地理に疎いのは認めるが、地域に密着していなくとも旨いラーメンは旨いのである。

 第一その論点で攻めるならば、各地に点在する札幌ラーメンなどは全滅である。論じるだけ不毛なのだ。

 しかもその店はTVチャンピオンのラーメン王がことごとく絶賛している店なのである。

 別に権威主義という訳ではないのだが、秀でた人たちが認める味であるならばそこには他店と一線を画す何かがあるはずなのだ。

 私の場合、5回通って初めて旨い!と思えるようになり、それからはそこ以外のラーメン屋にはほとんど行かなくなった。

 5回も回数を重ねる必要があったのは、いわゆる地元のラーメンというのは「中華そば」風なものであってこの味がラーメンにおける原体験として確立され舌に滲みているからである。

 これをリセットするのに回数を重ねる必要があったのだ。

ラーメン屋に行くのに、大福さんは私のMC−1に、私は「大福号」にそれぞれ乗って行くことにした。

 どきどきしながら大福号のスタートスイッチを押す。
軽くエンジンが掛かり、アイドリングをした。

 ノーマルマフラーの静かな排気音が車内に入ってくる。

一方、かわいい我がMC−1はなかなかエンジンがかからず苦戦している模様であった。ごめん大福さん。

 その日一発目の始動は機嫌が悪いのだ。いったん起きればすぐにエンジンが掛かるのだけど・・・

 ようやく大福さんもエンジンがかかり、私が道案内をする格好で先頭を走る。

 ルームミラーに映る我がMC−1。

 ああ、自分の車を外から眺めて走れる日が来るなんて・・・感動。

 ありがとう大福さん。

 アクセルを入れると大福号は素直に加速していく。

後ろからついてくる大福さんもキツそうだ(汗

ごめんねぇ、、遅いMC−1で、、、

 大福号は非常に静かに走ってくれる。このシートも最高だ。たぶん世の中で一番座り心地の良いMC−1ではないだろうか。

・・・・が、しかし、なんとなくハンドルが左右にとられる気がする。

 K−3は全くそんなことがないのだが、MC−1の場合ショートトレッドのおかげで道の轍にイヤな感じでタイヤが入り込み、ハンドルを取られることがある。
 それ以上にハンドルがとられている気が・・・・あれれれ!?

 後で大福さんに聞いたのだがどうも車重がありすぎてそんな感じになってしまっているらしい(汗
ちなみにサスも殆ど沈んでいる状態なので、少しの段差で底突きをする。

ますますその話を聞いて「こりゃー普通のMC−1で福島に来るより大変なんじゃなかろうか」と感じた。



 祭日のラーメン屋は昼時だというのに思いの外空いていた。
客は私たちの他に座敷席に2名、カウンターに1名だった。
 まあ、この店はいつもこんな感じなのだ。

 ここではAセット(餃子+ラーメン)を2つ注文する。
私はぺーぱん+味濃いめ、大福さんはぺーぱんで。(※なんの事やら判らない人は「オープン・キャンプ参照のこと

 TVではなんかのバラエティ番組をやっていた。

 ここで大福さんと雑談しながら、これからの予定を考えてた。
明日は、息子達と摺上ダムに普通車で行こうと思っていたのだが、いきなり福島を通り越して宮城まで行く人だ。
 それではなんかかわいそうな気がした。
 もっと走りたいのではないかと・・・・。

 そこで、大福さんに提案してみた。明日の摺上観光をこれからにしませんか?と。
時計はすでに12時をまわっていた。摺上に移動するだけで3時間弱かかる。往復だけで半日仕事だ。昨日あれだけ長距離を走ったばかりなので無謀かなぁとも思ったのだが・・・・

「あ、いいですよ〜。べつに」

 いやにあっさりと快諾である。やっぱ、ただ者ではない。

 こうなると、ラーメンを堪能するのもそこそこに、足早に店をでてガソリンスタンドに向かう。
給油を行い、いつものごとくトリップメータの写真を撮る。



 これからどれほど、このメータが数字を刻むかワクワクしてくる。

給油を終えてまずは、私が先導する形で走る。

 大福号はぴったりと後を付いてくるが、平地向けのセッティングと安全のための濃い目のセッティングのために少しでも上り坂になると著しく速度が落ちる。

 それは八木沢峠の手前のちょっとした上り坂でも顕著であった。

 坂を上がっている最中からどんどんと大福号は離れていき、とうとうバックミラーから消えてしまった。

しかし、この坂道で停まって待つ訳にはいかず私はそのまま坂を上りきり、下りの先の自動販売のある路肩にK−3を停めて大福さんを待った。

路肩にはトラックと軽ワゴン車が2台停まっていた。

程なく大福号が坂のてっぺんにそのすがたをちょこんと出し、降りてきたのだった。

あと数分しても上がってこなかったら迎えに行こうと思っていたので私は安堵の息をついた。

 大福さんは、「いやー、燃調が濃いめなので全然吹けなくて坂道をあがれませんでした、、ちょっと調整します、、」と言っていきなりシートを外した。
なんと!大福号のシートは固定されていなかった。
 まるで荷物をどけるかの如く、シートを外して大福さんはキャブのジェットを交換し始めた。

 これは究極な合理性だなぁ・・でも、固定しないとガタつかないの??

「大丈夫なんですよ。最初はガタガタ言ってますが、そのうちなじむので」と大福さんは笑う。

 なるほど、それで几帳面にシートベルトを毎回きっちり締めているわけね・・。

確かに大きく車がバンプするような所は、車体がフルボトムする大福号では意識的に避けて通るだろうし、そのために人ごとシートをベルトで固定するわけだ。

 私もピストン穴あき恐怖症候群なので、MJを交換しようと思ってキャブを開けた。今のMJが100なので105に変更しようと思ったのだ。

やや!手持ちのMJに105がない!!あ、そうか、、この間MC−1に付けたんだった(汗

仕方なく、大福さんにMJ105ありますか?と聞いてみた。大福さんのマシンはノーマルキャブだったので無いだろうなぁ・・とあきらめつつ。

そしたらちゃんと持っていた。まさにツーリングするなら大福さんと!と思った。

大福号のすごさの秘密はシート裏の装備にある。

写真を撮るのを忘れていたのだが、丁度MC−1のリアトレイの部分にはびっしりと整備に必要な工具類、オイル類、パーツなどが満載状態なのだ。
特に混合仕様の大福号では燃料満タンで丁度良いオイル量を添加し易いように2STオイルが小ボトルで小分けされて何本かまとめてあった。

 感心しながら見ていると、軽ワンボックスに乗ってた人に声をかけられた。

「いや、凄い車だなや〜。どこからきたんだい?」と小柄なオジサンが声をかけた。その傍らでニヤニヤしながら若い茶髪の元ヤンのような男も立っていた。
オジサンと言っても私と同い年くらいで、元ヤンは20代に見えた。

 あ、地元ですよ。南相馬なので・・・。こっちの人は埼玉から来てます。と応えるとオジサンはのけぞった。

「なに?地元にこんな車あんのかい?それと埼玉ぁ?」

 そりゃびっくりするだろうなぁ(笑

「そういやこんな(大福号の方をみて)車を原町で良くみかけるな」とオジサンがつづけた。

あ、それ白いヤツでしょ?私の車ですよ。っとなんとなく、知ってた事に嬉しくなって応えた。

「あ、なに、あれアンタの車?よーく線路のさぁ、北原の。あそこでよく見かけるんだぁ」

 だって、そこの近くが勤務先なんで(汗

「な〜んだ、そうなのかぁ。しっかし、面白い車に乗ってるなやぁ」とオジサンは興味津々だった。

「これ何ccあるんですか?軽自動車扱い?」と元ヤンが聞いてきた。

ああ、これは50ccですよ。税金も安いしセカンド・サードカーとしては最適ですよー。といつものトークを展開する。

「あ、ほんとだ、ナンバーが後ろにある。水色なんだ・・・へぇ〜」と元ヤンは感心している。

「んでさ、これってイクラすんの?」とオジサンが聞いてくる。このへんはマイクロカーユーザーならば日常的に繰り広げられる質問であろう。

 ああ、こっちはキットカーなので85万くらいですよ。自分で組み立てると楽しいですよー。でもってこっち(大福号)は新車で45万です。中古なら20万前後かな?と教える。

「そのくらいで買えるけ?」とオジサンは感心する。

その後、オジサン達は私たちの作業を見ていた。そのうち大福さんの作業も終わったことを知って、「じゃあ、気を付けてなぁ」と言って原町方面に走っていった。

 さあて。

 これから八木沢峠越えである。

 先ほどの坂など前哨戦なのだ。これからが本番となる。

 ここも私が先導する形で走る。

走り始めは速度が出るものの、緩やかな上り坂で速度が削がれていく。ここでも次第に大福号がバックミラーから消えていった。

 この峠での最高登坂速度は40km/hくらい、最低は25km/hまで落ち込む。もはやエンジン付きの公道を走る乗り物の速度を切っている。
ここで後続車にぴったりとつかれると精神的に非常につらい。

 適当に何台か後続車を先に行かせながら峠を上がっていく。ツーリングと言えども上り坂は孤独である。
情を捨てて無心でアクセルを踏んでいかないと自分自身が苦労する羽目になる。
 WRはすでに4.5gと5g混合でかなり軽い状態。
これ以上軽くするとプーリー内で変速出来なくなり、エンジンがうなるだけで最高速が出なくなる。

しかし、ここ八木沢を越える時だけは3.5gまで落としたくなる。ここはそういう峠なのだ。

うなるだけで進まないK−3を心で励まし、なんとか坂の頂上までたどり着く。
ここから下りはK−3の独壇場だ。

あっという間に坂を下がりきり、下りきった先にある路肩にK−3を停める。
そして大福さんを待つ。

 いま彼は非常に精神的にキツイ戦いをしていることだろう。

 なんせ昭和52年までは「阿武隈高地最難所の峠」と恐れられてた峠なのだ。今となっては上りやすくなったとはいえ、それは普通車での話。
マイクロカーにとっては未だに難所であることに代わりはない。

 しばらく待ってもなかなか見えてこない大福号がそれを物語っている。

 かなり待ってようやく大福号が現れた。そして私の隣りまで来て停車し休んだ。
「いやぁ〜、キツイ坂ですよぉ」と大福さんが言う。

 まあでも、箱根に比べたら楽勝でしょう?と聞くと、

「箱根はあの坂がず〜っと続いている感じなんですよ。だから本当にきつかった。そこで停まるともう、先に進めない。エンジンがうなるだけで。」

え?じゃあそこからどうやって坂を上ったの??と聞くと・・。

「車から降りて、適当なものでアクセルを押して、さらに車も押して上がりました」

その光景を想像して絶句した。

 大福さんは、人馬一体というか人車一体となって箱根を征服してきたのだ。

普通、上れない時点であきらめて「じゃあ、また今度〜」となると思うのだが、アクセルONで外から車を押して上がるなんて・・・・(汗

 もはやこれは競技の域に近い。

 大福さんにかかれば、「車から降りて押さなくてすんだだけ、八木沢峠は大したことなくて良かった」と思っていたかもしれない。

・・・・やっぱ、この人凄い、、、、

しばらく休んだ後、また走り続けた。

途中、飯舘村に唯一あるセブンイレブンで飲み物を買う。

そしてココでW-ZERO3で、ブログに写真をアップロードする。

 駐車場ではへんてこな車が2台並んでるということで、みんなチラチラ見ていった。

 大福号の隣りにランクルに犬を乗せた家族連れ一行が停まったのだが、もう、車を降りる前から子供達が騒いでいる。
母親が降りてきて、大福号を見た瞬間、吹き出しそうになって顔を横に向けた。
 そしてすぐさま携帯で写真を撮っていた。

 ちょうどそのとき、大福さんがキャブの調整のためによっこいしょとシートを外したのだが、その光景を見た瞬間、母親は固まっていた。
そりゃびっくりするだろうなぁw

 その間、父親はじーっとK−3を眺めている。そしてしばらくして犬を車外に出して車のバンパーにリードを繋ぎ、店内に入っていった。

こちらは充分休んだので、またまた再出発だ。

走行中、闇雲にカメラだけ後ろに向けて撮影しようと頑張ったのだがまともなのが取れていなかった。

そのため、ここまで文字だらけである。

しかし、画期的な撮影方法を思いつき実践した。それがこれだ。


 バックミラーに小さく大福号が映っているでしょう?

でもって失敗した写真がこっち。



 ヘッドレストがちょうど邪魔するんだよねぇ(涙

川俣町を抜け、飯野町を抜けて福島市内へ入る。


 福島市内に入るにしたがって天気も良くなってきた。
こうなると日陰の出来ないK−3はクソ暑い。



平坦路が続き、ご機嫌な大福さん。

この後飯坂温泉に向かいます。



 ここが飯坂温泉駅前。
大福さんも記念撮影をしようとカメラをごそごそっと。



K−3とも記念撮影。
道を通る人たちは「何だなんだ?」と見ていくけれどもまあ、お構いなしで撮影を続行。
そうすると、駅の即売所からお店の人が出てきて、「珍しい車だねぇ〜」と話しかけてくる。
「これなに、またすりかみさんの所で新しく車を買ったの?」と聞かれたが、これは全く関係ないことと、すりかみ観光自動車にあるのはK−4というK−3の後のモデルであることを説明した。

「あ、そういやあんた、前もきてなかったっけ?」とお店のおばちゃんが言った。
そうそう、前回ここに来て、すりかみ観光自動車の事務所が判らなくて教えてもらった者です。
あのときは有り難うございました。
実はあの模様をインターネットのHPで公開していて即売所も少し紹介しているんですよ〜。と伝えると、とても喜んでいた。

 お店のおばちゃん達に別れを告げ、すりかみ観光自動車の飯坂温泉駅前事務所に向かった。

たぶん誰もいないけど、記念撮影のために。

飯坂温泉駅の隣の橋を越えてすぐのところにすりかみ観光自動車の事務所がある。

事務所は丁度、改築中であったが赤号が置いてあった。

あとで聞いた所によると、埼玉に返す事になっているらしい。



改築中の事務所内。
給仕場が出来て、お茶や玉こんにゃくもここで出せる様になるとか。



これまでたくさんの観光客のために頑張ってくれた赤号、お疲れさまでした。
これからはK−4の拡販のためにガンバってねぇ〜。


 同じ場所で大福号も記念撮影。
埼玉からここ、すりかみ観光自動車の事務所前まで到着しました。
 やたら大きく見えるのは気のせいw



 作業中の大工さんに聞くと、澁谷社長は少し前に摺上ダムのほうの事務所へ向かったとのこと。
うーん、、入れ違いになったか。
 実際にダムに行く前に電話を入れておくことにした。

あ、もしもしどつですが今からそちらに行っても大丈夫でしょうか〜??

「まったくもって大丈夫ですよ〜。お待ちしております。」

それで、今回埼玉からマイクロカーで来ている友人がいますので、是非ともK−4に乗せたいんですけど・・・・。

「え!埼玉からですか?4号国道で来たの?」

いやいや、6号をずっと北上して、早く来すぎて宮城まで行ってしまったスンゴイ人なのです。

「ホントですか??それは凄い、、お待ちしております。」

・・・お待ちしているならば、早速行かねばなるまい。
ということで摺上ダムを目指して399号線を上っていく。

 これまで八木沢をはじめとするいろんな峠を経験した私たちなのでまったくもって難なく峠を上っていく。
しかし、峠を登る途中でなんかK−3に違和感が・・・。
 急に排気音が大きくなった気がする、、、、

まあ、上まで行ったら調べりゃいいやとタカをくくってK−3を走らせる。あとで驚くとも知らずに、、

 この間も大福号と坂道で離れたりするので、スピードを調整して待つ。
誤解しないように書いておくが、これは私のK−3が凄いとか大福号が坂道苦手とかではなく、単に大福号のセッティングが平地巡航安全性重視仕様のために勾配のキツイ連続した坂では濃すぎてまわらないため坂も上れないだけなのである。

 いよいよダムが見えてきてここからは緩やかなカーブから直線になる上り坂へなる。



ここで無謀にも走りながら後ろを振り返り大福号を写真にに納めようとした。
しかし、上手くフレームに収まらなかったので四苦八苦していたときに、突如「ガリガリガリガリィィィ」とけたたましい音が響いた。
どうも後ろを振り向いたときに無意識にハンドルが左に少し切れてしまっていたようで、縁石のフロントの左フェンダーが思いっきり当たって削れた音だったのだ。

 私はあわててブレーキを踏みつつハンドルを右に切ったが、ある程度のダメージがフェンダーとタイヤとホイールへ被ったことは明らかだった。
ああ、こんな馬鹿なことしなきゃ良かった、、と後悔しつつダムの管理事務所の駐車場に車を止めて大福さんを待った。

ここでも記念撮影。



 この時、大福さんに、さっき坂を上っている最中、なんか排気音が変わった気がしたんですよねーと言って、K−3の下回りを見てみるとなんとチャンバーを固定しているサポートバンドがどこかに行ってしまっている(汗

 う〜ん、こりゃすりかみ観光自動車のダム事務所に行った時にでも直しておかないとやばいなぁ・・と言うと、「なんでここで直さないんですか?」と大福さんが言った。
 あ、でも針金とかないとダメだし・・というと針金はあるとのこと。
まさにミラクル大福号なのだ。なんでもあるのだ。

 ということで地べたに寝っ転がってK−3の補修。

「持ち上げないと作業性悪いでしょう、、、、」と大福さんは心配してみているがそれほど作業性は悪くはない。
程なく針金巻き巻きの儀式が終わり、ようやく安心して自走出来る状態になった。

このとき「マフラーとか落ちるとトンデモ無い音がするんですよねぇ〜。走っている最中、急に音がでかくなって焦ったことありましたよ。そしたらマフラーが落ちてて・・」と大福さんは笑いながら語った。
私もMC−1で経験があったので、そうそう、ほんと急にすんごい音になるよねぇ〜とゲラゲラ笑った。

 ・・・・まさか、これから数日後、伝説になるであろう埼玉−奈良自走オフのまさに静岡に入る時に、大福号のエキパイ接合部が割れるというハプニングに出くわすなんて、このときの大福さんは全く思ってなかった事だろう。

 充分の休憩を取るために、ダムサイトの説明、、このダムがロックフィルダムと言って土や岩石を盛り上げて造るダムであるとか、ダムサイトから下側にキャンプ場があり、「オープン・キャンプ」の時には、あのへんでテントを張って・・・と雑談をした。

 しかし、時間にそれほどないのと、澁谷社長が待っているので話しをソコソコにすりかみ観光自動車のダム事務所に向かった。

 大福さんをみんなに紹介して、大福号も紹介する。

澁谷さんの奥さんが大福号を見て「かわいい!」を連発していた。

そしていよいよ、大福さんのK−4試乗である。



 モザイクで判りづらいが満面の笑みである。長距離運転の疲れも吹っ飛んだ感じ??

この後、大福さんはK−4に乗ってどこかに行ってしまった。

 その後ろ姿を見送りながら澁谷さん、小松さんと雑談する。

 20分ほどして大福さんがにこにこしながら戻ってきた。その表情を見た瞬間、ああ、よかった!連れてきた甲斐があった!と実感した。

「すごいですよ!K−4はとっても面白い!」大福さんの第一声だった。

「ここは景色もとっても良いし、走っていながら通る場所毎の温度の変化を肌で感じられるなんて楽しいです!!」・・・でしょでしょ。

「オープンって素晴らしいですね〜。走っていてなにも覆われてないので気持ちいいです!!」・・・そうそう!!

「あ、でもなんかこのK−4、どつさんのK−3よりもしかしたら速いかも・・・」・・・・・・ええぇ!?!?!?

「なんかさっきの坂道も40キロくらいで上がっていくし」・・・・・・、、、、(涙

ああ、連れてくるんじゃなかった、、、うぅ、、立ち直れない、、

いやね、その感じはナラシしてたころのうちのK−3と同じくらいですよ、うん、同じ同じ!!っと強がりを言うのが精一杯でした。

「これは、どつさんも乗るべきですよ。楽しいですよ、青号は!」と嬉しそうな大福さん。

 しかし、どつのガラス細工の心はノーマルのK−4の方が、自分のK−3より速いんだ、、、そうなんだ、、、とがっくりきていた。

どのくらいガックリときたかというと、

 ・・・・ガク、、、

という感じであった。

 こんな精神状況では勧められても素直に乗れない。
もし乗って立ち直れないくらいのショックを受けたらどうしようと怖かった。
(※じつは後日、いやというほど青号に乗る羽目になるのだが・・

 なんとか話をはぐらかしつつ、青号を整備中の澁谷社長の写真を撮ったりする。



さて、賢明なかたなら気づいたと思うけど、飯坂温泉駅前の事務所にあった赤号がいつのまにやらダム事務所に戻っております。
これは澁谷社長が乗ってきたから。
ちなみに社長はまるでスチームボーイのような風貌でこれに乗っております。かっこいいよーww



 さて、結局はすりかみ観光自動車のダム事務所で午後6時近くまでいろいろと雑談して盛り上がってしまいました(汗

今から南相馬市に戻るといつ頃着くのだろうか・・・と不安になりつつも帰ります。

実は帰りに撮った写真はこれ1枚だけ・・・・。



 真っ暗なので思うような写真が撮れなかったことと、帰り道は行きよりもキツイ行程となったことが原因でした。
帰り道、思ったようにエンジンが吹けなくなって困ってしまう大福さんと私。
 それでも休みながら少しづつ家路につきます。

 実はこの帰りにも、ホームセンターでチャンバー固定用のステンレスバンドを捜すために、いったいあれの正式名称はなんというのか?で悩んだり、川俣町から飯舘に抜けるツヅラ坂で、大福号が待てど暮らせどこなかったりとか、いろいろとありましたが、八木沢峠から南相馬までの下りはまるでジェットコースターの如くといって良いほど、速くスリリングなものになりました。

 結局は南相馬市にもどったのが9時過ぎで、その後回転寿司屋でお互いの健闘をたたえつつ握手を交わした後、寿司を食っておりました。
しかし、遅い時間帯だったのでネタも少なく注文しようにも困るほど・・・。
 でもそんな中でもマイクロカーのネタは豊富だったので話で盛り上がりました。

 大福さんの試行錯誤シリーズの話は大腸がヨジレキレルほど面白く、話に夢中になっていたらいつのまにやらラストオーダーの時間。

 明日は野馬追い祭りで、騎馬武者が市内を歩き出してしまうと車も動けなくなるので早めに大福さんを迎えに行かないといけない。

話をこのくらいで切り上げて、大福さんに今日の宿を確認するとよくわからないとのこと(汗

 なんでもナビのデータを読めなくなってしまったとか・・。

 印刷した地図があったので、それを見せてもらい宿まで誘導していく。

そこで別れて自宅に戻るのだが・・・・・。

 やっぱり、すりかみ観光自動車の青色が気になる。いったいどんだけ凄かったんだ、、、気になるなぁ・・・。

時計はすでに0時をすぎていたけど、思い切ってシリンダヘッドを開けてみる。

思った以上にカーボンが蓄積している。ちょっと前に綺麗にしたのに・・・・。MJ105は濃かったのか!?

ピストンも確認すると、キズは見受けられないがどうも、ピストンリングから抜けてたみたいで少しガスで黒くなっいた。

この際なのでピストンリング・ピストン・ピストンピンを交換する。

 今日は摺上往復もしたし、体は疲れているのだが無性にK−3をいじりたくなっていた。

これが世に言う「大福効果」か。モチベーション分けてもらった感じがする。

 MJを100に戻し、ピストンも交換した。あとは明日、駆動系を確認してみよう。

ということでようやく今日1日が終わった。



祭りの朝は早い。

地元周辺から化粧された馬にまたがった騎馬武者達が公道を我がモノ顔で占拠する。

そのため、大福さんには、「朝7時くらいに迎えにいく」と伝えたのだが、朝6時半にはウチに来てしまった。

そこからすぐにでも市内を出ればいいのだが、結局は8時くらいまでK−3をいじったりしゃべったりしてた。

そんな中、K−3のベルトケースを開けて、大福さんとWRの確認をしたのだが、なんと思いっきり片減したWRがゴロゴロと出てきた。
どのくらい片減してたかというと、転がしてもまともに転がらない。

まるで蒲鉾のようである。

 そのWRは交換してまだ1週間も経っていない。
でも、こんな形状になるなんて・・・・。

思い当たるのは、手加工したKNプーリーである。
余分な所を削ぎ落とし、傾斜もリューターでガリガリっと削ったあのプーリー。

闇雲にいじってもかえって逆効果という良い見本ではないか、、、、、

しかし、まあ、良くこんなので摺上往復できたなぁ・・・・。

「どつさん、適当に加工しちゃうからですよ。ほら、こことかここの仕上がりが全然同じになっていない。ここで削れたんだきっと。」
大福探偵の推理ショーが始まる。

まあ、うなだれるしかないか(涙

推理ショーが終わる頃、次第に馬の闊歩する音が多く鳴り始め、嘶きや人々の大声が聞こえてきた。

いよいよ祭りがスタートする。

 野馬追い祭りは、最初に本陣から離れた場所の分陣(というのだろうか)に各地から集まった騎馬武者が各々の名乗りを上げて集っていく。

 それら小集団に本陣からの伝令が届き、本陣と集合し祭場まで行列をするというストーリーになっている。

なにせ、参加している騎馬武者は本気なのでソコソコ迫力がある。

その迫力ある場面を、大福さんが携帯で撮ってたので掲載しよう。



私はあまりに見慣れすぎていて「写真に納める」という行為すら忘れてた。(反省

 大福さんも「これは1回みたらいいけど、2回目はないな」と喜んで・・・・いたのかなぁ(汗

大福さんも私も朝飯を食べていないので、早めにどこかに食べに行きたかったのだが、騎馬武者の行列が始まると、その行列を横切ることは「やってはならないしきたり」であるので行列が終わるまで待っていた。

写真を撮って1時間弱経ってからようやく騎馬武者がいなくなったので、こちらはマイクロカー2台で出陣する。

通りにはまだ行列を見物してた人たちが多数残っており、交通整理の警察官などもいた。

そこをマイクロカー2台が颯爽と道を通り抜けていく。

当然、人々の注目は集まる。声も聞こえる。「かわいい!」とか「かっこいい!」とか。・・・主に子供達だけど。

こういうところがこそばゆく気持ちいいんだよねぇ〜。

橋をわたり、小学校を左折して陸橋を渡ったところで、大福さんが停車してた乗用車の若い女性の集団に声をかけられた。

「江戸川からきたんですかぁ〜?」

 大福さんは相手の声がいまいち聞き取れないようで、曖昧に返事をしてたみたいだったが、K−3のミラー越しに見えたその乗用車のナンバーはたしか足立ナンバーで、「私たちも江戸川からきたんですよぉ〜」とか言ってた。

なんたる偶然!!こんな地方の片田舎での出会い(笑

なぜかは知らないが女性集団は「がんばってくださぁい〜」と大福さんにエールを送り去っていった。

 さて、その後、まるまつという和風ファミレスで朝食を取る。

大福さんが和風ハンバーグ定食、私が納豆定食にミニそばというメニューだった。

 そこでは埼玉のツッキーさんの話になり、大福さんはベタ誉めであった。

整備もチューニングもきちんとしており、ドライビングテクニックも凄いらしい。

 ふと雨蛙さんと重なって見えた。

 そんな仲で、どうしてこう私たちは作業がおおざっぱで失敗ばかりするのだろうという議論になり、結論としては「血液型がO型だから」ということで落ち着いた。



 充分納得出来たので、これからの日程を話す。

実際ノープランだったので、切実な話だ。

 今日は帰るだけなので、長距離ドライブは避けた方が良いと思った。しかし、帰る予定のお昼までにはまだまだ時間があった。

 大福さん、おみやげとか買うの?と聞くと、「折角、海が近い所に来たので魚とか買いたい」という。

それならば、漁港のある相馬市に行こうという話になって、各々車に乗り込んだ。

 相馬市は相馬港や松川浦漁港という2つの港がある市で、隣りの市になる。
ここからの距離は片道30km弱といったところだ。

 ドライブコースは海沿いののどかな道を選んだ。国道は祭りの見学者を乗せた車や、市内封鎖で迂回しなければならない貨物トラックなどで混んでいるからだ。

 とてもいい天気の中を、大福号とK−3でツーリングする。

MJを下げたので回転があがり、最高速が上がっている。



道案内役の私が先に走ってワインディングを飛ばしていくと、少し遅れて大福号が来る。

あまり起伏の激しい道は避けてはしっているが、さすがに上りは辛そうだ。

 しかし、下りになるとかなりな速度でK−3に付いてくる。

よくあのハンドリングの車を動かしているなぁ・・・と感心する。

 こんな気持ちのいいツーリングを30分ほど続けて、松川浦の湾内の海が見える長い直線道に出た。

ここはほぼ平らな直線なので、アクセルを思いっきり入れて走る。
しかし、薄くなって抱きついたり、ピストン穴あきが怖いので雨蛙さんの教えの「たまにアクセルを吹かして濃いめの混合気をシリンダに送る」方法を試す。

 最初はタコメータの戻りが遅いものの、何度か吹かすとタコメータの戻りが早くなる。
こういう挙動だけ少しドキドキ。

 長い直線道の終端には休憩所があって、そこは無料で潮干狩りが出来たり車を停めて風景を楽しんだり出来るようになっている。

 大福さんと私はそこに車を停めて休もうとしたのだが、明らかにヤンキーな先客が2名ほど居り、白いローダウンしたグロリアの周りでた雑談してた。

 そこへ「へんな車」2台が入っていったのである。



ヤンキーは一瞬、敵意むき出しの目で視線をこちらに送ってきたのだが、車の存在を認識した途端、その目からは力が抜けて丸くなってた。

 ヤンキー2名の頭上に漫画の吹き出しを書いてセリフを入れたら「・・・何だこりゃ」だったと思う。

 マイクロカーを見てからのヤンキーは終始無言で、こちらをたまにチラ見している。

きっと聞きたいのだ、「それどこの車?何cc?幾ら??」って。

 そんなヤンキーの心は充分判ってたのでこちらも体からフレンドリーオーラを出さないように注意しつつ、大福さんとしゃべっていた。

 そのうち、ヤンキーはどこかに行ってしまったのだが、最後の最後までこっちをチラチラみてた。

今思えば相手をしてやっても良かったかなぁ〜。

 ヤンキーは居なくなり、駐車場には私たちだけになったのだが、そのとき、草むらから「にゃー」と声が聞こえてきた。

 猫ヒロシではなく、ホンモノの子猫であった。

どうみても捨て猫だったが、人なつっこい所を見ると、それなりにここで人になついて餌を貰い生きてきたのであろう。

 なかなかにたくましい子猫にみえた。

 さっそく、子猫は大福さんになついてた。大福さんもまんざらじゃないようで、何か子猫に餌をあげようと思ってたようだった。

 そして大福号の車内に体を半分つっこんでゴソガサと餌を探していたが見つからず、「これ食べるかなぁ」と出してきたのは飴であった。

 いやー、そりゃ無理ですよ。丸飲みでもしたら喉に引っかかって窒息しかねないよというと、自慢の怪力で飴を小分けして子猫の前に置いた。
 子猫は困った声で「にゃー」といって、大福号の下に潜ってしまった。

これでは出発出来ないではないか?

 しょうがない、大福さん、サイタマーに猫つれてく?というと「それはちょっと・・・」と軽くひるんでた。

まあ、エンジンをかければ逃げるでしょ。という話になって、とりあえず漁港を目指すことにした。

案の定、エンジンをかけたら子猫はどこかに行ってしまった。

 その駐車場から漁港までは2kmも無い道のりだ。

途中、松川浦大橋というアーチ状のベイブリッジのパクリのような小橋をわたる。

傾斜がきついので、天に昇るような感じでK−3を走らせる。

頂上までいくと下は船の航路になっているので、白い筋のような小波の船の通り跡がたなびいているのが見える。

その橋を下って右に回ると潮干狩り場や旅館の建ち並ぶ松川浦漁港となる。

 漁港には即売所があり、駐車場もあるので車を停めてゆっくりと新鮮な魚介類を買うことが出来る。

しかし、祭りの日とはいえ平日であるので漁港は実に閑散としてた。

 あまりにもマイクロカーには不似合いな広い駐車場のどこに車を停めようか悩んだあげく、できるだけ日陰に停めるように、即売所の壁際に並べて停めることにした。

 マイクロカーを降りて即売所に向かうと、すでに「変な車」を目撃した魚売りのおばちゃんが色めき立って質問してきた。

「ナニアレ?日本の車!?」「何で顔ついてんの?」「かわいいねぇ」おそらく半分本音・半分セールストーク状態でおばちゃんはまくし立ててきた。

 一通り説明すると、「へぇ〜そんな車があるんだねぇ〜」と妙に感心した表情で納得していた。

 大福さんが「あれで、魚を売り歩いたら魚もたくさん売れますよ!」と光岡のセールスマンのようなことを言ったが、「うちら、ここで充分魚売れているから(笑」とあっさりかわされた。

 さて、おばちゃんとの前哨戦も終わり、さっそく本題の海産物の品定めをしようかと思って即売所に足を踏み入れたら、「ちょっと、あんたたち、このイカあげるからたべなさい」と1人のおばちゃんに捕まった。

 店先にビニール袋に入れられた塩ゆでのイカの切り身や足が入っており、それを味見しろというのだ。

 私は、もうちょっとぐるっとまわってまた来るねと言おうと思ったら、人のいい大福さんは、イカを受け取り食べながらおばちゃんの話に聞き入ってしまっていた。

 やばい、このままでは他を見ることなくここで買い物をさせられて終わってしまう・・・・。

 危険を感じた私は、おばちゃんに、もうちょっと他の店を見てから買うの決めるよ!と言ったのだが、この漁港で取れたのだから、どれも同じだよ〜と一蹴されてしまった。ごもっとも(汗

 結局そこでいろいろと大福さんは買い物をすることになる。

アワビやカレイ、アサリやホッキ貝など・・・。合計7千円以上の買い物をしていた。

そして、おばちゃんが「これ、クール(宅急便)で送れるけど、どうする?」と聞いてきた。

事前に埼玉から来たとか世間話をしてたので、発送先は判っているのだ。

 大福さんはきっぱりと「あー、出来れば氷大目に梱包してください。持って帰りますから。車(大福号)で」と言った。

 一同、「えええっ!?!?」っと声に出しそうになって驚いた。

7月下旬の福島のそれも浜通りはものすごく暑かった。

そこに、貝などの足の早い魚介類をマイクロカーで運ぶというのだ。

しかも、大福号の断熱材も入っていないキャリアで。

 そんなことしたら、おそらく出発してから3時間目には氷がすべて溶け、家に帰る事には「トンでもない」ことになっており、それを食べた大福家のみなさんは「さらにトンでもない」ことになるのは必死である。

実際、ここから埼玉までは8時間もかかるのだ。

「食中毒!おみやげの魚介類からサルモネラ菌検出!」

「魚介類の無謀な陸送!親思いの長男が原因で家族全員食中毒に!!」

なんとなーく、スポーツ新聞風にサイタマの明日の三面記事の見だしが脳裏をよぎる。

その後、おばちゃんと一生懸命説得したのだが、大福さんの「大丈夫ですから」という変に自信のある言葉を信じておばちゃんは氷いっぱいに梱包を始めた。

ああ、あんなにいっぱいの高級食材が・・。

最後の最後まで、食材が心配な私であった。(後日、埼玉に着いてもまだ氷は全部溶けておらず、おみやげも無事だったと報告を受けております)

 さて、大福さんのおみやげ購入という目的もこなしたので、一旦、自宅に戻りそこで記念撮影をして解散することにした。

 漁港のおばちゃんに別れを告げ、帰り際にまたイカの足を貰いながら帰る。

途中、ガソリンがかなり減っていることに気づき、スタンドで給油する。

 大福さんのマシンは混合なのだが、給油もササっと手早くやってしまう。

大福号にはボトルに分けられた2STオイルが8本くらいあるのだが、ふと、この先何回くらい給油するんだろうと思いながら大福さんの作業を見ていた。



 帰り道は国道を走ることにした。

すでにお昼をまわっていたので、国道は空いていた。

他の車の流れに乗って走る。しかし、原町に入る時には長い上り坂があって、時速40km/hまで落ち込む。

そのときだけ周りに謝りつつアクセルを踏んだ。

程なく坂を上りきり、下って右折し、たんぼ道を突っ切って行く。

そうしてようやく自宅についた。

 大福号が戻ってきたのを察知した子供らは、あわてて外に飛び出てきた。

そこでみんなで大福号と記念撮影。



 埼玉から勇者との写真は子供らにとってもいい思い出になることだろう。

そうして、K−3とMC−1、大福号との記念撮影。



本来であるならば、決してあり得ない3ショットだが、大福さんの行動力によって、こうして写真に納めることが出来た。

 最後に出発する大福さんと堅い握手をして無事を祈りつつ、別れを告げた。

そして運転しながら背中越しに手を振る大福さん。

次第に小さくなっていく大福号。

私たちは見えなくなるまで東の覇王に手を振り続けた・・・・・・。

【終わり】